米沢牛を肥育するプロフェッショナル!米澤佐藤畜産

衛生的な環境で牛にストレスを与えないよう愛情を持って丹精込めて育て上げた米沢牛です。

米沢牛の米澤佐藤畜産 商品一覧
日本三大和牛と称賛される黒毛和牛、山形県が誇る名牛「米沢牛」とは
米沢牛とは、厳しい条件を満たし、認定された飼育者によって、丁寧に育てられる最高級牛肉です。
当店の指定牧場である米澤佐藤畜産の米沢牛は、米沢牛の定義よりさらに厳しい33~36ヶ月肥育を行っています。
米沢牛の定義
下記の条件をすべて満たしたものを米沢牛と認めて、枝肉に証明印を押印する。
■飼育者は、置賜三市五町(※1)に居住し米沢牛銘柄推進協議会が認定した者で、登録された牛舎での飼育期間が最も長いものとする。
■肉牛の種類は、黒毛和種の未経産雌牛とする。
■米沢牛枝肉市場若しくは東京食肉中央卸売市場に上場されたもの又は米沢市食肉センターでと畜され、公益社団法人日本食肉格付協会の格付けを受けた枝肉とする。
但し、米沢牛銘柄推進協議会長が認めた共進会、共励会又は研究会に地区を代表して出品したものも同等の扱いとする。 また、輸出用は米沢牛銘柄推進協議会が認めたと畜場とする。■生後月齢32ヶ月以上のもので公益社団法人日本食肉格付協会が定める3等級以上の外観並びに肉質及び脂質が優れている枝肉とする。
■山形県の放射性物質全頭検査において放射性物質が「不検出」(※2)であるものとする。
(※1)置賜管内の三市五町:米沢市、南陽市、長井市、高畠町、 川西町、飯豊町、白鷹町、小国町
(※2)定量下限値 25Bq/kg
【平成26年12月1日取引分より改定】 米沢牛銘柄推進協議会HP参照
厳しい定義をクリアしたものだけに米沢牛購買証明書が付けられます。
当店でお買い求めいただいた米沢牛にはすべて【米沢牛証明書】を同封いたします。
米沢牛証明書には個体識別番号の他、枝肉番号・格付・生産者などが分かるようになっております。
米澤佐藤畜産の米沢牛へのこだわり
米澤佐藤畜産の「米沢牛」へのこだわり1
ストレスを与えない徹底した環境づくり。
■牛はとても神経質な生き物です。米沢牛にストレスを与えないために、仕上げ肥育は4畳ほどのスペースに1頭飼い。
■おがくずを毎日足しています。
■衛生管理も徹底します。牛舎へは消毒してから入ります。
米澤佐藤畜産の「米沢牛」へのこだわり2
良質な飼料と清らかな水を米沢牛に与えます。■成長に合わせ、25種類もの餌を配合。
■ビール酵母や米ぬかも与えています。
■飲み水は吾妻連峰からの伏流水を使用。牧場の近くには、あの天下の傾奇者「前田慶次」ゆかりの「慶次清水」という湧水があります。
米澤佐藤畜産の「米沢牛」へのこだわり3
日本トップクラスの衛生管理された自社センターで米沢牛を加工します。■自社加工センターは、HACCPシステムを導入し、衛生・品質管理を徹底しています。
■さらに国際規格の中で食品安全の最高峰ともいえる、FSSC22000を取得しています。
安全・安心が叫ばれている現在、衛生管理を徹底した工場の元、温度管理・品質管理を従業員一人一人に熱心に教育をし、真心をこめた商品作りを心がけております。


私達が大切に育てた米沢牛、鮮度を最高の状態で維持し世界最高レベルの安全・安心とともに皆様へお届け致します。
米澤佐藤畜産

代表の熱き想い。”男気の人”佐藤秀彌代表

米沢牛肥育から加工までを一貫体制で行う米澤佐藤畜産の佐藤社長と、大友副社長にお聞きしました。
「おいしい米沢牛を提供し、牛を通じて、社会貢献を使命としています。」

佐藤社長は、日本全国北海道から九州まで、毎月よい仔牛を探しに行きます。
― 佐藤社長「おもに宮崎と北海道から仔牛を仕入れます。北海道へは毎月行ってますよ。」
(Q)仔牛を選ぶポイントなどありますか?
(A)角は丸くて細いほどいいね。角が細いのは、骨も細め。その方が肉になる部分が増えるからね。

北海道の自社牧場では仔牛の繁殖にも積極的に取り組んでいます。

■33~36ヶ月以上の長期肥育にこだわる!
米沢牛銘柄推進協議会が定めた米沢牛の定義は、32カ月以上の肥育となってますが、米澤佐藤畜産は、さらに長い、33ヶ月以上の長期肥育にこだわります。
人件費や飼料代など、その分多くコストはかかりますが、1000日を越えると、甘さが増してさらに美味しい米沢牛になるそうです。

■チャンピオン牛の米沢牛も多数輩出!h3>
米澤佐藤畜産の 米沢牛美味しさの秘密!「サシより旨みを優先。」
サシ(霜降りの部分)をたくさん入れれば、等級も上がり高値で取引されますが、佐藤社長はそれよりも米沢牛の美味しさ・うまみを優先し、育てているそうです。
― 佐藤社長
2010年口蹄疫の影響で全頭殺処分となった宮崎の農業高校へ、250万円で競り落としたメスの仔牛をその場で寄付をされた佐藤社長。
牧場直営のレストランや地元で実店舗も経営している佐藤社長は、お客様から「こんな美味しいお肉はたべたことがない!」といわれるのがこのうえなく嬉しいそうです。
「サシ(霜降りの部分)を多く入れる方法はあるんだ。サシが多い方が等級も上がる。
だけど、うちはサシをたくさん入れるやり方ではなくて、美味しさ優先で、旨みをつくる育て方を実践してる。
本来、サシは牛の持っている能力。そこは自然にまかせています。
美味しい牛をつくって伝えるのが使命だからね(笑)。
「美味しい米沢牛をつくるのが使命だからね」と笑顔で語る佐藤社長です。
「その仔牛はどうしてますか?」と質問したところ、「大活躍中」との答えが。
今では母牛となり、優秀な仔牛をたくさん産んでるそうです。
先日はその牛が産んだ仔牛を自社で買い取り、35ヶ月の肥育後に牛肉を同校へ寄贈されたということです。
■佐藤社長からお客様へメッセージ。
「ほんとうに美味しい米沢牛ですから、食べてみてください!」とのメッセージをいただきました。
インタビューにお答えくださいました佐藤社長・大友副社長、ありがとうございました!
食材にこだわる多数の一流レストランや有名店でも米澤佐藤畜産の米沢牛が選ばれています。
また、お中元やお歳暮などのギフト、お祝いごとや贈り物などにも、大変ご好評をいただいております。
米沢牛を日本中に広めた、教師と、貿易商と、もうひとつの顔を持つ偉人。チャールズ・H・ダラスとは
米沢牛を広めたのは、イギリス人、チャールズ・H・ダラスです。彼は横浜で敏腕な腕を振るい、貿易商をしていました。
しかし明治初期、米沢に創設された洋学舎に英学教師として迎えられ、赴任することになったのです。
まだ日本には肉食文化がなく、横浜でようやく牛肉を食べる文化が始まった頃です。
ダラスが米沢に赴任する際には、わざわざ専用のコックを一人連れて、米沢へ赴任したというエピソードが残っています。
それだけ、横浜で食べた牛が美味しかったのが分かりますね。
当時横浜で食べられていた牛肉は、兵庫県神戸から供給されていました。
これが神戸牛の始まりですが、なぜ米沢の牛が全国的に広まることができたのでしょうか。
ついに任期を終えたダラスは、横浜に戻ることになりました。
米沢でいっしょに暮していたゆきという女性と、ダラスとゆきの間に生まれた子どもは残して帰ることになりましたが、
米沢で食べた牛の味が忘れられず、牛を生きたまま1頭お土産として連れて帰ったそうです。
この米沢の牛を横浜の仲間にふるまったところ、美味しい神戸の牛を食べていた外国人たちも、
あまりの美味しさに驚き、みな言葉を失ってしまったといいます。
その後、ダラスの取り計らいで米沢の牛が定期的に横浜で食べられるようになり、その名を一気に全国区に広めたのです。
米沢牛の恩人ともいえるダラスですが、実は、貿易商・英学教師の他にもうひとつの顔がありました。
1866年、日本で初めて横浜で結成されたフリーメイソン支部長に就任。
すでに米沢に赴任する前には、その地位を確固たるものにしていたのです。
ダラスは米沢牛だけではなく、日本で活躍した偉大な人物だったのですね。
フリーメイソンシンボル↑

米沢牛 米澤佐藤畜産 商品一覧
お客様の声 |
切落しとはいえないお肉に、家族は大喜び!今後毎年クリスマスにはお世話になると思いますm(__)m |
お店の開店御祝に切落し(上)を送りました。柔らかくてとても美味しかったと感謝されました。食べごたえがあったようです。 |
傘寿の御祝にサーロインステーキを送りました。柔らかいお肉でお年寄りでも美味しくいただけたと喜んでもらいました。 |
内祝のお返しに切落しを贈らせてもらいました。人気商品のようですが、先方も美味しい! と喜んでくれました。 次は自分へのご褒美に購入します! |
米沢牛の切り落とし1kgを家族みんなで食べました。比較サイトで米沢牛は人気があるとクチコミ評判があった通りのおいしさでおじいちゃんも大喜び。おすすめの商品だと思います。 |
肩ロースのすき焼き肉を家族で美味しくいただきました。人気商品との事、評判通りの品質でした。夏にすき焼き、最高! |